本部
冬の寒さが少しずつ和らぎ始め、施設の庭ではシクラメンが静かに蕾を膨らませていた。
冷たい風にも負けず、じっと開花のときを待つその姿には、どこか健気さを感じる。
私は、満開の花が綺麗なのはもちろんだけれど、それ以上に、もう少しで咲きそうという状態の方が好きだった。
花びらの先がわずかにほころび、もうすぐ咲くぞとでも言いたげにたたずんでいるように思える。
「もう少しだ!頑張れー!」と思わず、心の中で応援している私がいる。
近くのベンチに腰掛けていた利用者さまに声を掛けた。
「シクラメンが咲きそうですね。」
彼はこの施設に入居してから数年が経つが、昔から庭の手入れを欠かさず、特にこのシクラメンを大切にしている。
「あのシクラメンは、ここに来たときに植えたんですよ。」
施設の庭にある花は職員が植えたものだと思っていたが、シクラメンに余程思入れがあったのだろう。
どんな理由なんだろうと気になり、質問をしてみた。
「シクラメンがお好きなんですか?」
「ええ。冬でも綺麗に咲くから、見ているとなんだか元気をもらえるんですよ。」
「シクラメンの花言葉を知っていますか?」
私は首を振った。
「『遠慮』とか『内気』という意味があるそうですが、私にとっては『思い出』の花なんです。」
「思い出の花…。」
「ええ。妻が好きな花でね。」
「毎年、咲くたびに思い出すんです。」
「昔住んでいた家の庭にもシクラメンがあってね。」
「冬になると妻と一緒に花を眺めながら、お茶を飲んだりしていました。」
彼の目は遠くを見つめるように細められていた。
きっとその日々を思い出し、懐かしんでいるだろう。
「思い出がつまった、大切なお花なんですね。」
彼の思い出を聞きながら、私は改めて花が持つ力を感じた。
ただ綺麗に咲いているだけではない。
彼にとっては、奥様との過ぎ去った大切な時間をそっと思い出させてくれる存在なんだと思えた。
「もう少しで開花すると思うんですが、一緒に見てくれますか?」
「もちろんです!」
そう約束した翌週、シクラメンは見事に花を咲かせた。
鮮やかな赤やピンクの花が、施設の庭に小さな冬の彩りを添える。
彼と私は静かにその景色を眺めた。
「きれいですね…。またひとつ、素敵な思い出ができました。」
「本当に。花を見ると、そのときのことを思い出せますからね。」
「妻とも、こんなふうに花を眺めながらいろんな話をしたんです。些細なことばかりでしたけどね。」
「でも、そういう時間が大切だったんですね。」
「ええ。何気ない日常のひとつひとつが、あとになって振り返ると宝物みたいに感じるんです。」
彼の言葉に、私は改めて大切なことを教えられた気がした。
「この花が咲くたびに、またお話聞かせてくださいね。」
「ありがとう。来年の楽しみがまた一つできました。」
そう約束して、私にもまた来年の楽しみが一つできた。
2月のお花:シクラメン
シクラメンの花言葉は「内気」「はにかみ」「遠慮」「気後れ」です。
なんだか日本人のような花言葉ですが、ヨーロッパでは、誠実な愛の誓いとしてシクラメンの花を贈るそうです。
花の少ない冬を華やかに彩ってくれて、花色も葉色も模様も形も香りもたくさんの種類があるので、あなただけのシクラメンを見つけてみてはいかがでしょうか?