本部
「あそこの壁にクロスを貼って、キャットウォークをつけようか」
新しい住処を前に、彼女と理想のお家づくりに期待を膨らませてから2年が経った。実験的に設置した1枚板のウォールラックには本やジャンク品のフィルムカメラ、いつ買ったかも忘れてしまったぬいぐるみが埃を被っている。同じくして、「家に迎えてあげなきゃ」と衝動的に購入した観葉植物は、いつ枯れてしまうかのチキンレース真っ最中だ。気分が良くなると思って取り付けた収納家具は、日常生活の目線よりも少し上にあるせいで、少しでも気を抜くと見えない存在になってしまった。
2年前、突如として2匹の猫を迎えることとなった。命を預かる手前、たくさんの話し合いを経て、「残念だけどお断りしよう」と結果を出した数日後、偶然ペットOKの物件が見つかった。費用は手が届くしDIY可能、何より前々から住みたかった町にあって、飛び上がって喜んだ。トントン拍子で引越しを済ませ、猫たちの住まいを整えて、今は2人と2匹で慎ましく暮らしている。晩御飯を食べる時はいつも猫たちがやってきて、ここが定位置だと言わんばかりに膝に乗る。2人で世間話をしていると「私にも構ってくれよ」と鳴き出し、おもちゃを咥えて擦り寄ってくる。ベッドに入れば2匹とものそりのそりと身を布団の中へ潜らせる。
猫たちを迎えて毎日が楽しくなった。この生活がずっと続けばいいと、心から思うのだけど、もし2匹がいない生活だったら?を想像すると、よろしくない考えが頭をよぎる。彼女とここまで続いたのだろうか、そもそも同棲すらせずに終わりを迎えてはいないだろうか。我が家の家訓は「猫ファースト」だから、猫のために家を整えることはしても、私たちが掲げた理想の生活までの道のりは、2年前からずっと平行な線のままではなかろうか。当初立てたDIY計画は、初回のウォールラックで頓挫しているし、生活におけるお互いの価値観のすり合わせの結果、“慣れ”が悪さをして、気の抜けた部屋になっている。リビングに放たれた部屋着と同じように、芍薬と薔薇を投げることは、いささか考えられない。
我儘な悩みを抱えていても、仕事だけは当たり前のように続く。むしろそれがサイクルになって、仕事終わりの達成感が、悩みを打ち消してくれる。入居者さまから頼りにされることが、それを後押しする。仕事で失敗した時、何も言わずに手を握って「大丈夫」と言ってくれた女性の方がいて、それからは人生の先輩としていつも相談に乗ってもらっている。
ある日、レクリエーションで折り紙をすることとなった。私は折り紙が大の苦手で、小さい頃は紙ひこうきしか折れず、それをできるだけゆっくり作ることでその場をしのいでいたのを覚えている。大人になって、改めて折り紙をするのはなんだか新鮮な気がした。1度も作れなかった鶴でも作ろうかと、相談をさせてもらっている方の隣に座り、子どものように折り方を教えてもらう。赤色の紙を三角形にして、順々に折っていくと、前後の色が綺麗に紅白になった鶴が出来上がった。思い描いていたものとは違う折り鶴を、不思議がって眺めていると、「人生の先輩」は、ゆっくりと言葉をつらねた。
「紅白鶴と言うのよ、折り鶴、作ったことないって言ってたから、ちょっとびっくりさせようと思って」
「初めて見ました。おめでたい感じがしますね。結婚とかそういうので折ったりするんですかね?」
「それは夫婦鶴。1枚で2羽の鶴を折るものね。まあでも、紅白鶴もお祝いってことで、いいじゃない。結婚するんでしょう?」
彼女の口から驚きの言葉が飛び出した。結婚のことは話していない。彼女と話は進んでいるけれど、本当は、ほんの小さなためらいがある。それは私自身の我儘な悩みで、「このままでいいのだろうか」と勝手に思ってしまっているから、誰にも言い出せなかったことだ。
「え?なんで知ってるんですか?言ってないですよね?」
「聞いてないもの。でも、普段のあなたを見てたらすぐ分かるわ。いつも元気に動いてくれているのに、最近はぼーっとしてる。あとね、紅白鶴の絵の前で、立ち止まってるのを何回も見てるわよ。奥さんと上手くいくか、不安なんでしょう」
無意識に見てしまっている絵画。白鶴と紅鶴の2羽が寄り添っている。私たちは2人だけで、同じところを見て暮らせているのかな。少し冷めてしまった感情を、維持できるのかな。いつか、違う方向を向いてしまうんじゃないだろうか。見るたびに、起こってもいないことに不安を募らせていることを、彼女は見透していたようだ。
「不安です。うち、猫がいるんですけど、彼らがいなかったら2人でやっていけないだろうなとか、彼女と僕で立てた予定が、なかなか実現できない。毎日楽しいんですけど、なんか、温度差ですかね、良くも悪くもあるというか」
「そんなの当たり前じゃないの!」
「そうなんですかね?」
「そうよ〜!差があって当然よ。付き合い始めた頃は、多分熱いわよねえ、楽しいことをたくさん分かち合う。でも、熱い温度のままもしんどいよね。ずっと夏も嫌でしょ?あたしは耐えらんない。反対に、びっくりするくらい冷めてしまうことだってあるの。人と人だからね。全部が全部楽しいことなんてない。つら〜いこともたくさんある。そっちの方が多いわね(笑)」
私が折った紅白鶴を手に取りながら、彼女は続けた。
「夫婦には、ちゃんと適温ってものがあるの。今はその温度がぬるく感じて、ちょっと気持ち悪いんじゃない?長く一緒にいるって言ってたわね。熱いも冷たいも経験して、最近はちょうど良くなってきたけれど、それじゃあ物足りない。だから生活を良くしたい。でも、上手くできない。それでいいのよ。たかだか数ヶ月の悩みでしょ?この先もっと色々あるんだから、今は2人でこしらえた適温に喜びなさい。奥さんのも猫ちゃんのことも、少しずつゆっくり良くしていったらいいのよ」
そう言って、鶴の折り紙を私に握らせた。
「改めておめでとうね。あ、まだ決まってはないか(笑)でも、あなたたちなら大丈夫よ。今までたっくさん話を聞いたし、そのくらいは分かるわ。猫ちゃんいるしね」
レクリエーションが終わった後、その足で絵画を見にいった。私と彼女は、この鶴のように同じ方向を見てはいないだろう。その代わり、猫たちが走り回って、ドタバタと騒いで大笑いしてるはず。それが私たちの適温なのだ。