コラム詳細

【添う恋う長屋】筆を掴む

本部

家の窓から見えた空き地が、防音シートで塞がれてしまった。
住宅街の一角にポツンとあった空き地。普段はあまり気にしていなかったけど、
自然が無機物の色に取って代わったその時は、少しのさみしさと、かといって
そこで遊ぶ子どもたちももう見なくなったしなという諦念の2つがいっぺんに
やってきた。イエスでもノーでもないその思いが気持ち悪くて、
元空き地、現防音シートの横を通る時は、心に蓋をするようにイヤホンを耳に入れて、
できるだけ大きい音で気持ちを紛らわせた。

まだ10歳にも満たないころは、ただの空き地や公園がたくさんあったように思う。
マイブームはもっぱら砂遊び。空き地に行けば穴を堀り、砂場があれば山を盛る。
場所さえあればできてしまう数々の作品。作っている瞬間が楽しくて、
手を動かせばいつでもどんな風にでも形にできたのが、当時の自分を熱狂させた。
泥まみれになって汗をかきながら作ったものが、雨や他の人に壊されて跡形がなくなってしまっても、
次は何を作ろうかという原動力になった。

職場で担当している方、その彼との出会いは、FAXが始まりだった。
はじめましての挨拶をしに伺ったとき、彼の居室の机には紙束の山が積まれていて、
それをちらっと見たのを察したのか、私が挨拶をする前に
彼は「FAXが好きなんや」とだけ言い、それを指差した。
思わず私は「あー、、、」と声を漏らし、もう一度紙束の1番上のA4用紙を見た。
そこには筆で書かれた文字列が並び、末尾に署名がされていて、
用紙から放たれる力強さに、果たし状みたいだと少し笑ったのを覚えている。

果たし状の人というイメージとは裏腹に、彼は非常に快活で明晰な人物であった。
学生時代は工学を専攻し、その後は電子機器メーカーの研究職として働き、
高度成長期の話や、自身の研究分野の話をわかりやすく私に説明してくれた。
幼い頃からものづくりが好きだったらしく、それがきっかけで工学を学び始めたという。
その知識と技術は今でも健在だ。愛用しているFAXはとても古びていて、もう市場には
出回っていない型番であったが、どこからか部品を手配して何度も修理したものらしい。
「部品が消耗してもな、母体が生きてたらなんでも直せんねん」といつも言っていた。

そんな彼の「生き返らせる手」が、ある時から止まってしまった。
持病の神経難病が悪化し、彼は自分自身を思うように動かせなくなった。
手が震え、筆をまっすぐ引くことができなくなり、机の紙束は片付けられた。
摂食嚥下もうまくいかず、みるみるうちに痩せ細り、あれだけ弾んでいた世間話が
とんとなくなった。そして彼の生そのものだった「ものづくり」が
できなくなったことで、彼は絶望の淵に立たされた。

疾患のことは学んでいたけれど、目の当たりにすると私からできることが何もない。
リハビリに携わっても、食事の支援をしても、本人がもう一度進む勇気を持たないと
何も始まらない。ただ、どうにかして彼の崩れた山を作り直したい。
そのきっかけをくれたのは、生きる意味を失いかけた彼の一言であった。

車椅子に乗るようになった彼に、いろんな景色を見せたくて、以前よりも
さまざまな場所へ連れて行くようになった。玄関から広間、エレベータを使って
居室以外のフロアを散策する。廊下の壁には規則正しく絵が飾られていて、
それを見せてあげようと、ゆっくりと回った。

ある1枚の絵の前で、彼が声を上げる。

「ーうごきそうやな」

たった7文字。前より、少し滑舌が悪くなってしまった言葉。ただ、その一言で、
この人はまだ諦めてなんかないと、私は悟った。
FAXのことを話すたびに言っていた、「母体が生きてたらー」のあの言葉を、彼は自分自身に言い聞かせている。
筆で描かれた、躍動する馬。この馬は、動くはずのない絵の中で懸命に生きていた。

その時、幼い頃の砂場の思い出が蘇った。なぜかはよくわからない。けど、
そこに人が生を全うする理由があったのだ。それからは勝手に言葉が紡がれていった。

「僕ね、砂場が好きだったんですよ。幼い頃はまだ空き地とか小さな公園がたくさんあって。自由に遊んでました。」

私は当時作った作品のこと、砂場での盛衰について語った。

「いくらいいものを作っても、次の日にはないんですよ。みんなが遊ぶから壊されちゃって。雨が降ってもなくなっちゃいますよね。
どっちにしろなくなるんですけど、それよりも作ってる時間が楽しいし、遊んだ記憶は体が覚えてる。
だから、次はもっといいもの作ろうって思ってたんです。」

「いつも言ってたじゃないですか。『何度だって直せる』って。僕が砂場で遊んでたときも、何回でも作れるって思ってたんですよ。
それでね、それが生きてる意味なんやと、今わかった気がします。」

「動かなくなっても、壊されても、母体が生きてるなら、また作ろうって思えるなら、何回だってやり直せる。
あなたの身体は今、ちょっと調子が悪くなっただけなんです。
そのままにしていたら、動かないかもしれないけど、今ちゃんと生きてるじゃないですか。絵を見て、『動きそうだ』なんて期待してたじゃないですか。
なんでも直してきたその器用な手を、今度はあなた自身で工夫して、治しましょうよ。」

「それで、もう1回FAX使いましょう。いっぱい手紙書いて、なくなった紙束よりももっと背の高い束を作りましょう。
いつだってやり直せます。まだ生きる意味を失ってないって気づいたから。」

そこまで言って、やっと彼は振り向く。

「手、動くんやろか。」

「もちろんですよ。なんでも直してきたんですもの。その知識は失ってないでしょ?」

「ありがとな」

朝起きて、カーテンを開ける。防音シートは日に日に背が高くなっていく。
空き地はなくなってしまったし、砂場に行くことももうないだろう。
ただ、あの時と同じように、今もこれからも手を動かし続けるのだ。

コラム一覧に戻る

ページトップへ