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【一輪の花言葉】幸せ

本部

近ごろ続いていた雨はすっかりやんで、道端の凹凸に残された水たまりは、太陽の光に照らされてキラキラと光っていた。

暖かくなってきた春の日差しは全身で浴びたくなるほど気持ちがいい。

だというのに、鏡に映る私の顔は辛気臭い程に曇り切りだった。

春に浮かれた気持ちのせいだ。というのはあまりにも無責任で情けない。
ここ最近、少し失敗続きで落ち込んでいた。

施設で働くようになってから、数年ほど。
中堅というにはまだ頼りない自分は
果たして誰かの、何かの力になっているのだろうか。

まるで今日の天気とは対照的にじとっとした思考は
私の頭の一部を占領して、簡単には離れそうもなかった。

今日は久しぶりの晴天なのだから
いつまでもこうしているわけにはいかない。

鏡とのにらめっこをやめて、無理やり気持ちを切り替えるように家を出た。

施設に着くと、心なしか職員も利用者様方も明るい表情で
今日みたいなよく晴れた春の日に相応しい暖かな雰囲気に包まれている。

なんだかこの時だけは、私は異様に場違いな気がして、ほんの少し詰まった息を
そっと吐き出してから、努めて快い挨拶を意識した。

晴れた日は散歩に行ける。
久しぶりに天気が良くなったことに利用者様たちがうきうきとしている中

私は一人、連日の雨で花は散ってしまったのではないだろうかと考えてしまう。

いつも散歩に立ち寄るのは、綺麗に花の手入れがされている公園で、
それは見事に色とりどりの花が沢山咲いている場所だった。

その光景を楽しみにしている利用者様は多く、
私もそのひとりだったはずなのに。

どうしてもネガティブな思考がぬぐい切れずにまた自己嫌悪を繰り返していた。

その日の午後、予定通り利用者様と数人の職員とで散歩に繰り出した。

不安半分、楽しみ半分。といった面持ちで向かう道すがら、
公園の前までくると、ふわりと微かに花の匂いが頬をなでて通り過ぎる。

公園にはいつもどおり、色とりどりの花が咲き乱れていた。
それも、前日の雨が粒となって花の上で光る様はいつも以上に美しく見える。

わぁ。と感嘆の息をはいて、利用者様たちは近くの花を思い思いに眺めては嬉しそうに笑みを浮かべていた。

その中で、私は一人の利用者様が興味深そうに小さな黄色い花を見つめているのに気が付いた。
私はそっと近づいてみる。
タンポポだ。

言ってしまえば手入れをしなくても元気に咲く花。

「タンポポって、小さなお花なのに。どんなに風に揺れても負けずに、いつも綺麗に咲くのね」

不思議そうに、けれど愛おしそうにのぞき込んで彼女は微笑んでいる。
タンポポに何か思い入れがあるのだろうか。私は少し話を聞きたくなった。

彼女がまだ幼かった頃、家の近くには大きな丘があり、春になるとタンポポが一面に咲いていたのだと言う。
友人とふたり、タンポポの綿毛を探して願い事を込めて風に吹かせていたことを話してくれた。

私に話してくれる彼女の目には懐かしい記憶や喜びの色が浮かんでいる。

いつだったか、私にもそんな頃があった。

花のことをろくにも知らず、道端に咲いたタンポポを
切り花にして家に持って帰ったことがある。

母は切ってしまったらすぐに枯れてしまうと呆れた顔をしていたけれど
タンポポは切り花にして花瓶に飾っていれば数日で綺麗に綿毛を付けた。

嬉しくなって、うちの庭で吹いた綿毛が洗濯物にくっついて
母に小言をいわれたものだった。

「これ、持って帰って花瓶に刺しませんか?」

施設への帰り際、私は彼女を探して声をかけた。

一度、驚いた表情を見せてからすぐに頬を緩ませる彼女の姿に少しの緊張がほぐれる。
それは、頭の中に陰った雲が春の風に押し流されていくような。

「綿毛になったら、お庭に行って、たくさん願い事を込めて吹きましょうね。」

利用者様とのふれあいや、共有する喜びが私たちにとっての幸せの種なのかもしれない。
それがまた、きっと新しい希望や力になるのだろう。

私も、誰かの、何かの力になっているに違いない。

この幸せの種を大事に持ち帰えろう。

私の頭もすっかり晴れていた。


4月のお花:蒲公英
蒲公英の花言葉には「愛の神託」「幸せ」「神託」「真心の愛」があります。
黄色花弁を大きく広げて咲く、元気な印象がありますがロマンチックな一面も持っています。
西洋では古くから、恋占いの花として親しまれてきたのだとか。

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