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【添う恋う長屋】シルエット

本部

「大変そう〜。」

自分の仕事を紹介する際に、この一言から逃れられたことがない。
初めて行く美容室でも、どこかのバーでも、突然話しかけられた近所のおばちゃんでもみんな最初にこれを言う。
隣の芝は青いじゃなくて枯れている、みたいなことなんだろうか。

祖父母からかなり甘やかされていたのもあって、家族の助けになればと思って介護系の学校へ進学し、同じ業界に飛び込んだ。
それなりの甘さとキツさを経験して今に至る。
私生活とのバランスの取り方もようやく分かってきたし、なんとなくこのままでいいかと思い始めているのに、あの一言が引っかかる。
バタバタと歩きながら電話するスーツの群れの方が、よっぽどキツそうに見えるけど、どうやら世間ではそうではないらしい。

職場の雰囲気は悪くない。というか、かなり良好な方だと思う。
友人たちの話を聞くに、どんな仕事であれ、雰囲気が1番大事だと口を揃えて言う。至極真っ当ではあるけれど、確かにそうだ。
ある人から聞いたのは良すぎても問題で、ある程度の緊張感と柔らかさを持っているのが良いらしい。
要はメリハリだ。
そういえば、職場の同僚とプライベートもいつも一緒だったらしい友人は、すぐにその会社を辞めた。
理由を聞いたら、仲良くなりすぎたと言っていた。あの時はわからなかったけれど、そういうことなんだろう。

その点私の職場はちょうどいい距離感だ。いや、そうさせた人がいる。
入居している方から「王子」と呼ばれ、少なくとも私のモチベーションになっている彼は、少し前に転職で入ってきた。
私は社内教育係として数週間彼とコンビを組んでいたが、今では彼を見倣って仕事に励んでいる。

王子はとんでもなく仕事ができるかというとそうでもない。入居者の方にツッコまれたり、小さなミスを起こしてしまうこともある。
ただ、彼と仕事をすると、自分の仕事が楽しくなるのだ。

まず挨拶。
明るすぎず、暗すぎないちょうどいい声色で、「おはようございます」と声をかけてくる。
全体朝礼が終わると、みなぞろぞろと担当の場所へと移動していく中、いつも彼は「よしっ」と小さくつぶやく。
その瞬間、彼の背中が光り出す。
力仕事の結果か、細身の彼の腕は美しい筋肉がスラリと伸びている。

私と同じ業務をしているのに、彼の作業スピードは早く、そして完璧だ。彼が施設の居室を掃除すると、窓のサッシ一つにも埃が残らない。
彼のオーラと同じように、彼が通った道は、どうしても光り輝いてしまうのだ。

時折彼と世間話をするが、私の普通の生活を面白そうに聞いてくれ、人当たりも抜群に良い。
どうしてそんなにすごいのかを聞いても、彼自身は結構適当ですよと言うのだが、ある時、過去の話をしてくれた。

「介護といってもたくさんあるじゃないですか。
以前の職場の話なんですけど、そこでは、残念だけど1人では生きられない方や、
心の病気を持った方が多く入ってくるところだったんですよ。
そこまではいいんです。優しい方がたくさんいたし。でも、職場の雰囲気が悪かったんです。
そもそも挨拶をしないとか、全ての仕事をこなしているだけというか。
スタッフはみんな大変でつまんないよねっていう、ネガティブな気持ちで働いてるから、僕もだんだんそれに慣れてしまって。
つまんないのは仕事のせいだって思ってたんです。」

「ある日鏡を見たら、自分が自分じゃないみたいでした。
今と変わらないはずなのに、生きてる感じがしない。これじゃあダメだと思って、自分だけでも挨拶や、目の前の作業をできるだけやってみました。
お部屋の掃除一つとっても、ちょっと本気でやってみようと。
その分時間がかかって仕事は終わらないし、上司からは遅すぎるってずっと怒ってたし、そもそもそこまでやらなくていいと周りの人たちからは文句言われてました。」

「まあでも、自分が納得しないからと思ってやってたら、面白くなってきちゃって。
最初は達成感だけだったんですけど、いっつも『つまんないなあ』と吐いてたのが、なぜか鼻歌歌うレベルまで来ていました。
入居者の方も向こうから声をかけてくれるようになって。
僕だけ孫みたいに接してくれて、指名が入ってましたよ笑」

「自分のやり方に不満を持っていた人たちが多かったので、結局いざこざがあって辞めちゃいましたが、次も同じ仕事にしようと思って。そうしてなんとかやっています。
あと、ここで働き始めて、ひとつ気づいたことがあるんですけど、これ見てもらってもいいですか?」

と言うと、スマートフォンを取り出し、画像を見せてくれた。

「この絵、どう思います?」

「6頭のラクダが砂漠を歩いてる、ですか?あれ、違いますかね・・・?」

「そうですそうです。僕もこれをみた時に、同じこと思って。
6頭家族で、1番大きいのがボスで、小さい子どもがいて、家族なのにコブの数ってそれぞれ違うんだ〜、雄と雌なのかなって思ったんですよ。」

「その時はそれだけ思って、ある日、そういえばと思って『ラクダ コブ』って検索したら、コブの数でラクダの種類が違うってわかったんですよ。
ヒトコブラクダとフタコブラクダっていうらしいです。しかも生息地域も全く違うらしいです。」

「え〜そうなんですね、じゃあこれ家族じゃないんだ。」

「そうなんですよ!
集団で並んで歩いてる姿から家族だと思って、なんか可愛いなあって思ってたんですけど、全然違った。
その時、そういうことかって思ったんです。」

「種類が違っても、集団になると、同じように見えちゃうんです。
もっというと、同じ考えを持っているって相手も自分も、勘違いをしちゃうんですよ。」

「人間だってそう。僕は面白いなって思って働いてますけど、めんどくさいって思ってる人もいるし、私生活に力を入れてる人もいて、どこを主にするかは自分次第。
すごく当たり前なことですけど、周りから見たら、みんな同じように見えますよね。大変そう〜とか辛そう〜とかよく言われません?」

「あーすごく言われます・・・!」

「あと、さっきも話しましたけど、なんとなく雰囲気が悪かったら、いつしか不機嫌になってしまう。それだったら、明るくしなくてもいいけど、ちょっとは楽しい気持ちでいたいじゃないですか。
楽しいというか、気持ちいい感じで。みんなからはすごいって言われますけど、僕からしたら、自分がやりたいことやってるだけなのに、それを受け入れる度量のある人たちばかりで感謝ですよ。ほんとそれだけです。」

その話を聞いてから、職場へ行くのがちょっと嬉しくなった。
最初は私のうしろで付いていた彼は、誰よりも前を歩いている。
隣の芝は青いけれど、私の芝にはでっかいラクダが歩いているよ。

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