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【添う恋う長屋】ひとりぼっちと踊らせて

本部

つけっぱなしのテレビから、気象情報らしきものが流れる。
脳からは「からだじゅうが痛い」という叫びがこだましていた。
昨夜はソファに沈んだまま寝落ちしたせいで、首も腰も頭も、
ガンガンガンと、力任せに何かに打たれているようであった。飲みかけの水をぐいと飲み、おそらく手元に置いておいたはずのスマートフォンを探す。
ふとテレビに目をやると、左上の数字が8:55と表示されていた。
その数字が時刻と認識する前に、部屋中を走り回り、身支度を始めた。
夏物がずらりと並ぶクローゼットを掻き分け、シャツとコートを引っ張り出す。
顔を洗いながら歯ブラシを口の中に押し込む。先に着替えてしまったせいで、シャツが濡れる。
あーーーもう!と声で地団駄を踏むと、その地鳴りは、徐々にリズミカルなステップに形を変えた。

今日休みだ。シフトも入っていない週半ばの祝日だ。
天から仰々しい「おやすみファンファーレ」が鳴る。
それに合わせて、ふんふんと小気味よくステップを踏み、洗面所の電気を消して、朝の日差しはスポットライトのように私を照らす。
日常に隠れた小さな幸せ。今日は何をしようか。
押入れの模様替えなんてしてしまおうかしら、部屋のお掃除をして、ベッドメイキングも完璧にして、
なんだったらお出かけ用の一張羅を纏って、家の最寄りの喫茶店で、
好きな作家の新作でも読んでしまおうかしら。などと心を躍らせた。

朝のスポットライトは夕焼け色に変わっていた。
それは、外出も衣替えも部屋の掃除も、何もかも成し遂げられなかったという合図でもあった。
仕事頑張っていたし、と自分を慰めたが、せっかくの休みを「怠惰」に使ってしまったことに、
後悔の波が押し寄せた。

翌日。十二分に回復した体力を携えて、職場に出る。
力作業も少なくないこの仕事だが、ご利用者さまからねぎらいの言葉をもらえることに
やりがいを感じている。特に、休み明けは、「きたきた!」と訪問を心待ちにしてくれる方もいて、
休みの日のだらしなさとは裏腹に、シャキッと仕事スイッチが入る。
テキパキと仕事をこなしていると、後ろから「こんにちは」と声が掛かった。

「あ!こんにちは。いつも先に挨拶されちゃいますね。」

「それを毎朝の楽しみにしてるからね。昨日はお休みだった?」

「そうです。でもシフト入ってないの気づかなくて、朝慌てて支度しちゃいました。」

「毎日おつかれさま。頑張ってくれてありがとうね。」

「その言葉をいただけるだけで、仕事の糧になってます!」

「それならいいんだけど。昨日はどこかでかけたの?」

「いえ、支度したけど、そのまま寝ちゃいました。せっかくの休みだったのに、なんにもせず終わっちゃいました。」

「あらー。休みの日くらいは自分を甘やかさないとダメよ。」

「ん?どういうことですか?昨日たくさん寝たおかげでめちゃくちゃ元気ですよ!」

「そういうことじゃなくて。このままだと、孤独に苦しむことになる。」

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施設への入居はしたくなかった。子ども家族の勧めで決められてしまった。
まだまだ体は動くし、子どもたちがいなくても生活できる。
でも、家族は「何かあったら心配だから」の一点張りだった。
生まれてからずっと生きるのに必死だった。一生懸命働いて、家族を養った。
子宝にも恵まれて、それなりに幸せな半生だった。
子どもたちが自分の手を離れてから、しばらく1人で暮らしていたが、
ついにこの時がやってきてしまった。ずっとお前たちを見てきたのに最後は突き放すのかと、
ひどく落胆したことを覚えている。

入所1日目。
職員は優しく私に声をかけたが、それをあしらい、しかめっ面でその日を過ごした。
次の日も同じだった。誰もが声をかけてくれるのにそれに応えることができず、
暗くなった部屋で家族から見放されたという思いだけが膨らむ。
孤独だった。みなのために頑張ってきたのに、最後は1人だった。

孤独に苛まれる日々から抜けたのは、ある職員の一言だった。
「ご家族がいつも心配していますよ。自分にとても厳しい人だとお聞きしました。
きっと頑張ってきたのでしょうから、存分に甘えてくださいね。」

生きるのに必死だった私は、自分を甘やかすということがわからなかった。
一生懸命働くことが、幸せだと信じていた。
自分勝手に生きることをしないまま、人生の夕日を迎えていた。
その生き方は間違っていないし、後悔の気持ちもない。
でも、自分のための時間を取り入れていなかった。
せっかく環境が変わったのだから、今度は思い切り自分を甘やかしてみよう。
自分勝手に生きてみよう。絵を描いてもいいし、施設内の人たちとの会話でもいい。
オレンジ色に照らされた日々で、思い切りダンスしてみよう。

職員との会話は楽しかった。いの一番に挨拶することが、私の小さな幸せだった。
施設内には、絵画がたくさん飾られていて、一つ一つじっくり見るだけで楽しく過ごせた。
特に鶴が描かれた絵画は、私のお気に入りだった。

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「私みたいになってほしくない。人生はとても長い。
でも、目の前の生活に気を取られていると自分のための時間はすぐになくなってしまう。
お休みの日はゆっくり寝てもいいけれど、自分のための時間に使ってあげてほしい。
それが仕事なら一生懸命やればいい。
とにかく自分が何をやりたいかを考えて、その時間を人生のスケジュールに入れてほしい。
だから、あんまり頑張りすぎないでね。」

「ありがとうございます。仕事が楽しくて、結局休みの日は何にもできない日々でした。
自分のための時間、なんだろ、わかんないや。」

「そりゃまだわからないかもね。私もこの年になるまで気が付かなかった。
早くそれが見つけられるといいな。私との会話が、楽しみの一つになってくれたらって思うのは、ちょっと欲張りすぎかな?」

「欲張りすぎかもですね!」

「そんなこと言うなよ!」

「冗談ですよ。辛くなったら相談させてくださいね。」

「もちろん。君らと話すことが私の楽しみだからね。」

自分を犠牲にするのは、もう神さまに任せよう。
天に声を届ける鶴は、自分自身を喜ばせるように、こんなにも踊っているのだから。

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