本部
今日もまた見慣れた通勤経路を車で走っていく。
車内では聴き飽きるほど聴いたCDが一昨日の続きから再生されている。
この時間に頭の中で一日の業務のことを思うのもまたいつも通りのことで、
今朝だって自分自身が何を着て出ようかと迷いながら、利用者様の衣替えについて考えていた。
遅れを取り戻すように急いでやってきた秋が少し張り切りすぎて、
がくりと気温を引き下げてしまった、10月初旬。
ほんの少し前までは、出勤前に必ず太陽に蒸された車のクーラーを最大にして、
車内を冷やすということが日課になっていたけれど、
今はもう窓を開けているだけで肌寒いほどの風が入ってきた。
季節が変わるとともに、日常の中のささやかなルーティーンが変わっていく。
私自身のそんな変化も、常に利用者様の生活と隣合わせに在った。
利用者様の生活をサポートするという仕事についているからか、
様々な方々の生活が私の日常の中に介在している。
自分自身の日常に向き合うのと並行して、利用者様の日常にも向き合うのがいつの間にか自然になっていた。
体感温度が下がったから、空調の設定を上げよう。
半袖では心許なくなったから、長袖の着替えを用意してあげよう。
日が落ちるのが早くなってきたから、早めにカーテンを閉めに行こう。
多くの方と関わると、ルーティン化できないようなことが日々起こる。
決められたことだけでは済まない業務の中には、
一職員である私の考えや思いがたくさん張り巡らされているのだ。
「昨日あんた休みやったから、寂しかったわ」
午前中の業務をバタバタと終わらせていると、とある利用者様が声をかけてくださった。
介助の時だけでなく、顔を見かけるたびに手を振ってくれたり、
笑顔を見せてくださるとても優しい男性だ。
職員が一日休んだだけで寂しいと感じてくださるなんて、こんなにありがたいことはないのだけれど
働き始めた頃の私はそれを少し大袈裟なことのように感じていた。
私は仕事でここへきていて、時間が来たら帰るだけの存在なのだから、と。
「休み、昨日じゃなくて今日やったらよかったのにな」
「どうしてですか??」
昨日施設で何か楽しいことでもあったのだろうか、なんて考えていると、
いつものようににこにことした笑顔を浮かべながら、利用者様は想像もしていなかった返答を下さった。
「だってあんた今日誕生日やろ?」
誕生日。そう言われても少しのあいだ理解が追いつかなかったけれど、
今日の予定がびっしりと書かれたカレンダーの日付をみてはっと思い出した。
そうだ、今日は私の誕生日だったのだ。すっかり忘れていた。
「え?なんで知って下さってるんですか?」
「いつも乗ってる車のナンバー、今日の日付やん。あれ、誕生日なんやろ」
得意げな顔で話してくださる姿を見ながら、なんだか胸がじわりと温かくなってくる。
ナンバーを覚えてくださっていることにももちろん驚いたけれど、
なにより利用者様が一人の時も私のことを考えてくださっているのだということが嬉しかった。
「わぁ、ありがとうございます、すごく嬉しいです」
初めの頃は、全てのことを業務だと意識しながらやっていた。けれど、
こうして利用者様との関係性ができてくると、決してそれだけだとは思えなくなってきた。
私たちにとっては業務であっても、利用者様にとって施設の中で起こることは全て生活の一部なのだ。
一日のうち、誰とお話をして、誰と食事を共にして、誰の顔を最後に見て眠りにつくのか。
そういったことが利用者様にとってはすごく大切なことで、
だからこそ私たちが想像している以上に、職員のことを見て、考えて、思ってくださっているのだ。
「今日は帰ったらケーキ食べや。おめでたい日なんやから」
私の日常の中に、利用者様がこんなに入り込んでいるのも当然のことだ。
彼らがこんなにも、私たちのことを思ってくださるのだから。
親子とも、友達とも、お客様とも違う、この施設ならではの繋がりが確かにある。
利用者様が私の人生を祝ってくれるように、
私自身も彼らの生活の彩りになれているのだろうかと思うと、
改めて身の引き締まる思いがした。
10月のお花:パンジー
パンジーは愛を伝える花。一つの花茎に複数の花を咲かせるという特徴から、花言葉には「もの思い」「私を思って」などがあります。
会っていないあいだにも相手のことを思いやる気持ちが募って、気がつけば生活の中に相手のことが入り込んでいる。
私たちは生活を共にすることができる関係性だからこそ、生まれる喜びや、分かち合える感動がたくさんあるのです。