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【添う恋う長屋】2分の1

本部

忘れえぬ人。誰しもが心のどこかで抱える、この先も思い出したい人がいる。
どこにいるかもわからないし、たぶん、もう会うことのない人に、
いつまで経っても恋焦がれているのだ。いや、恋なんかじゃないけれど、
あの人は割り切れない人で、間抜けだった。

1:「2分の1」
「2分の1成人式」を思い出す時がある。
まだ成人年齢が20歳とされていた頃、その半分の、10歳になったタイミングで小学校で行われた催しだ。
記憶は定かではないが、たぶん小学4年生だった思う。
ちょうど分数の割り算ができるかできないかで、算数のクラスが二分されていた真っ只中だった。

国語の点数が異常に低く、宿題とは別に、親から読解力ドリルを渡され、
毎晩泣きながら解いていた私は、算数だけは鼻を高くできる科目であった。
学校の先生と100マス計算の競争をしたり、中学受験をするわけでもなしに、
つるかめ算を解いたり、学校のありとあらゆる場所にちらばる四角に、頭の中で補助線を足すのが楽しかった。
「2分の1」。あの時は、大人になるまであと半分、という「真ん中」の意味しかわからなかったが、
勉強の出来高によるクラス分けや、運動会や大会などで順位を分けられる「線引き」の意味が大きいということにはっきりと気がついたのは、
受験を控える中学3年生の時だったと思う。


社会人になって何年経っただろうか。毎年何かのワールドカップが開催される度に、
あの時からこのぐらい経ったのかあと反芻していたのに、
今や自分の年齢さえも瞬時に答えられない。
昭和何年の計算はやっとできるようになった時には、元号が変わり、今度は平成の計算ができなくなった。
あんなに得意だった計算は見る影もなく、「2分の1」はイエスかノーの2択、線引きの意味でしか捉えられなくなってしまった。

高校受験でもう少し頑張っていれば、と考えたあの悔しさが、その次の進学や社会に入ってからの選択の時にも再発する。
あと1回行けたなら。あの日、思ったのと違う選択をしていたのならば。
もう取り戻せない選択に思いを寄せて、ただ変えられない事実を追いかけては、
割り切れない不安が押し寄せてくるのだ。

とはいえ、今の私に大きな不満があるわけではない。仕事は続いているし、続けている。
偉い人が言っていた、「社会は大変なんだよ」のたった一言に身を任せ、
算数の代わりに得意になった都合の良い読解力を携えて、その一言の前後に行間の意味を詰める。


2:「与太郎」
いっとき落語にハマっていた。予定なく街をふらついて、
演芸場に赴き、まだ名の通っていない二つ目の噺を聞くのもいいし、
独特の間とリズムで一気に場を掌握する真打の高座に、耳だけでなく目も奪われるのが好きだった。
ラジオで演芸番組を聴きながら作業するのも良いし、なにより当時の風俗をエンターテイメントとして聴けるのが楽しかった。
落語には必ず「与太郎」が存在する。
噺の展開を進めたり、笑いどころを作ってくれるいわば間抜けな人物を指すのだが、
この与太郎がいるおかげで、笑い話になんでか感動を与えてくれたり、反対にずっと辛いのに最後に笑ってしまうなんてことがある。
江戸には与太郎がいて楽しそうだなあなんてふと思った時、また違う疑問が生まれた。
「今の社会は、与太郎がいない設定になっていないか?」
単に間抜けで阿呆、だけの意味じゃなく、場を和ませるような、辛い選択をしなければならない時に、立ち止まってくれるような、止まり木みたいな存在だ。
時には笑わせ、時には親身に話に乗ってくる。
そんな与太郎みたいな存在が、今の社会にはいない設定になってはないか?大真面目に物事を進めることだけが正解なんだろうか?


3:忘れえぬ人
職場に入職したての頃、ご病気で目がほとんど見えない方がいらっしゃった。
その方の介助をする際には、私は必ず名前を名乗り、生活を支えていた。
しばらくすると、彼は声だけで判断できるようになり、声をかけるだけで私の名前を呼んでくれるようになった。
それからは、仕事や生活のこと、彼のこれまでの人生のこと、辛かったこと、楽しかったこと、なんでも話した。
今まで誰にも言えなかった、「2分の1」の話もした。
その話を、彼は何も言わずに聞いてくれた。
仕事を始めて1ヶ月が経った頃、そのことを彼に話すと、
「1ヶ月続いたら3ヶ月続く。3ヶ月続いたら1年は続く。
1日1日を続ける君が、今の君を作っているんだ。
この前言っていただろう?2分の1の話。
そりゃ失敗したら失敗した方に目がつく。50%に負けたって思う。
だけど、今の君は、誰かが勝った方の人って思っているかもしれない君なんだ。
50%に残った方。割り算ができた側の方。そんな人かもしれないんだ。
少なくとも、俺は思うよ。君なら大丈夫やからぼちぼちやりなさいって。」
と私に語りかけてくれた。

その言葉は二つ目みたいに勢いのあるものではなかったし、真打みたいに五感全部を刺激してくるものでもなかった。
でも、耳から入ってきた言葉がとても心地が良くて、ただ、なんだかむず痒くて割り切ったらもったいない気持ちになった。
「そもそも、はい、か、いいえで割り切れるものなんてものすごく少ないんだ。
誰かから見たら楽しそうなものが、他の誰かからは悲しくも思える。
それはいつだって誰かの目線が入った考えでしかないのに、人はいつも割り切ろうとしてしまう。
2つの選択にしようとする。でも、それも間違っているわけじゃない。立ち止まるための場所、止まり木が見つかってないだけなんだ。
家族ってのはわかりやすいな。家族がいるから、自分の選択に自信が持てる。
まあもう一つ、ただ隣にいてくれる与太郎みたいな存在を見つけるのもいいんじゃないか?君にとっての与太郎は俺だな。自分で言うのも馬鹿馬鹿しいや。」

彼はいつでも私にどうでもいい話をしてくれた。
「史上最高の卵かけご飯を作ろう」っていきなり言ってきた時には、なんの話かと思ったけれど、ほとんど耳でしか世界を見られない彼の頭の中は、ワクワクでいっぱいで、
そんな馬鹿話につられて、私も本気最高の食材について考えたし、夜中なのに2人で大笑いしてしまった。
彼は退所してもういない。ただ、私が落ち込んだり、考えあぐねてしまった時には、
必ず耳から彼が見えてくる。彼が発したあの言葉は、今でも私の選択を支えてくれる。
街を歩く。秋めいた空の下、街灯と柱を隔てて、通りが二つに分かれている。
目を離し、もう一度真ん中の柱に目をやる。すると彼は必ず現れる。
「食うか?」
史上最高の卵かけご飯が、またできたらしい。

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