本部
「知っている人がいなくなるの、すごくさみしがっていたんです。」
昼間の照りつけるような暑さをまだ色濃く残した夕暮れ。
赤みを帯びた日差しが西側の窓から眩しく差し込んでくる施設の中で、
面会にいらした息子様がポツリとそんな言葉を漏らした。
八月中旬。
テレビの天気予報では猛暑日を通り越し
「酷暑日」なんて言葉がよく聞かれるようになった。
年々厳しくなる夏を涼しく乗り切るためにと、
施設では様々な夏季のイベントを行っている。
この日は年に一度のスイカ割りを行う日だった。
いつもは蝉の鳴く声がやかましく聞こえてくる施設内も、
今日はそれをかき消すほどワイワイと楽しげな声に満ちていた。
歓声の中で盛大に割られるスイカは、
目で見ても楽しく、食べても甘く美味しいと大評判。
真っ赤に詰まった身がみるみると皮だけになっていくのが、
大変清々しく感じられる充実したイベントだった。
季節のイベントはもちろん毎回大盛況なのだが、
施設では他にも、日常の至る所にたくさんのイベントが散りばめられている。
本日、この施設に新しいご入居者様がいらっしゃったのも、
私たちにとってはスイカ割りに負けないくらい大切なイベントだった。
その女性は、これまで別の街で訪問介護を受けていたのだが、
よく立ち会われていた息子様の奥様のほうで、突然ご両親の介護が必要になったそうだ。
息子様もこれから忙しくなってしまうということで、こちらの施設へのご入居を決められたらしい。
彼女は以前担当だった職員の方とかなり仲が良かったようなので、
引越しの時にはひときわ寂しい想いをされたのだろうと思う。
午前中にご挨拶させていただいた時は少しだけ不安そうで、
お部屋の中でも所在なさげにしていたのが印象的だった。
けれどそんな空気は、スイカ割りイベントが始まった途端、一気に表情を変えた。
時計の針がお昼時に差し掛かると、利用者様たちが続々と集まり始める。
前々から告知していたのもあって、開始前にはもうほとんど皆様が顔を揃えていた。
ここには、お話好きの方や、ワイワイと楽しいことが大好きな方たちがたくさんいる。
職員たちが驚くくらい、パワーに満ちた人たちばかりなのだ。
そんな方々の勢いに巻き込まれる形で、
彼女は気づけば中心の輪にすっかりと溶け込んでしまっていた。
「施設だと、こんな楽しいことがあるのね」
切り分けたスイカを彼女に渡しにいくと、
朝には見られなかったさわやかな笑顔を私に向けてくれた。
なんでも、彼女はフルーツが大好物らしく、今回のイベントを大変喜んでくださったのだ。
同じ季節のイベントをみんなで盛り上げ、同じ味覚を共有することで、
新しいつながりがどんどん生まれていく。
その瞬間を見届けることができ、私はほっと胸を撫で下ろした。
夕方になり、仕事を終えた息子様がお見えになると、
彼女は今日のお話を楽しげに語っていた。
心配そうだった息子様も、そのお話を聞くうち
だんだんと安心した様子だった。
「すごく心配してたんだけど、思ってたより楽しそうで拍子抜けしちゃいました。
ありがとうございます。」
帰り際、息子様が私にそう声をかけてくれる。
そのほころんだ笑顔が、差し込む夕焼けに照らされてキラキラと輝いていた。
さわやかな笑顔は、彼女の浮かべる笑顔にそっくりだ。
やはり親子なのだなぁ、と私も思わず頬が緩んでしまった。
季節のイベントが、ご利用者様の仲や、職員との仲も深めてくれる
素敵な時間になっているのだと改めて実感する。
彼女が以前親しんでいた職員の方からバトンを受け取って、
これからは私たちが彼女との関係を新しく紡いでいく番なのだ。
今日一日で知ることができた様々な表情を思い出しながら、暗くなり始めた空を見上げる。
こうして毎日起こるイベントに、彼女たち親子のようにさわやかに微笑むことができれば、
酷暑や寂しさは、何度でも吹き飛ばしてしまえる気がした。
八月のお花:アサガオ
アサガオの花言葉には「愛情」「結束」「明日もさわやかに」があります。
夏休みの時期になったら、小学生のいるご家庭の庭先にはアサガオの鉢が置かれているのをよく見かけるようになりますね。
風鈴の柄になっていたり、浴衣の柄になっていたりと、夏の風物詩であるアサガオの花は意外と日常の中に溶け込んでいます。
力強くツルを張って上へ上へと伸びていく生命力は、まるで暑さの中を生き抜く私たちを励ますかのよう。
さわやかな青紫に色づく花は、夏の暑さをもろともしないかのように凛と上向きに咲き誇ります。
あのツルのように絡み合う繋がりを大切に、花弁のようにさわやかな笑顔で。
今年もまた新たな季節を共に迎えられたことが、私たちは何よりも嬉しいのです。