本部
『24時間働けますか。』
戦えば戦うほど達成感があった。
昼は働きづめ、溜まった疲れを夜に吹き飛ばす。
景気が良かったと言われればそれまでだが、
次々に立ち上がる新規事業に立ち向かう。
怒鳴り合いの喧嘩をすることも少なくなかった。
衝突しても、その火元は同じ思いだと信じていたし、
仕事に対する本気のぶつかり合いは、それはそれで気持ちが良かった。
「コーヒー飲みますか?」
あれから数十年。私は第一線から退いて、この施設にお世話になっている。
あの頃のぶっきらぼうな性格は変わらず、
世話を焼いてくれる職員に怒ってしまうこともある。
元々声が大きく、すっかり耳も遠くなってしまったのもあって、
気づくと大声を出していることもややある。
「俺は昔からコーヒーが嫌いなんだよ!」
またやってしまった。せっかくの気遣いだのに、
『結構だよ』と一言添えればいいだけだのに、こんな言い方しかできない。
口の中に一気に広がる苦味は、デスクに散らばった資料一つ一つに
びっしり書かれた真っ黒の文字を思い出させて、
辛く厳しいあの頃がそのまま流れ込んでくるように思えた。
楽しさは確かにあったはずだ。でも、取り上げられる現代の働き方や考え方を
見ると、あの時の私は、本当に合っていたのか?と少し不安になる。
今の若い世代に当時の話をすると、
「大変な時代を生きていたんですね。私たちはそんなことできないです。」
とあまり興味がなさそうに返される。働いて働いて、働き詰めで、やっとのことで
見出した喜びは、もう受け入れてもらえないのだろう。
苦味はいらず、甘くて美味しければ、もうそれでいいのだろう。
胆を嘗めて必死に生きてきた自分が、コーヒーそのものに思えてきて、
その言葉を聞くだけで、気分が悪くなった。
植物が喜ぶ季節になった。
曇天模様のさなか、緑たちは一心不乱に生を見出す。
空から落ちる雨粒は、葉に一瞬の輝きを纏わせて、そして地面に垂れる。
私の青春は、あの葉のように一瞬の出来事だったのだろうか。
雨粒は空から地へ、一連の流れをになっているのに、その循環は、今までもこれからも変わらないのに、
私の輝きは、次の世代へと受け継がれないのだろうか。
ぼんやりと眺めていた庭が、ジメジメと滲み始めるのを感じた。
「どうしたんですか。辛い時はコーヒーですよ。」
間に入るように職員が話しかける。
「うるせえ!コーヒーなんか飲まねえんだよ!」
「本当はコーヒー好きなの、知ってますよ。」
「え?」
「よく口ずさんでるじゃないですか。一杯分の珈琲を淹れたら〜って。
だから私コーヒー淹れますか?って誘うんですよ。いつも怒るけど。」
小学生の頃だろうか、いや、そもそもこんな歌なんてあったのだろうか。
そんなことすらも覚えていなかったが、口癖のように歌っていたことに気づいた。
歌をきっかけにして、子どもの頃に1度だけコーヒーを飲んだことがある。
真っ黒で、墨汁みたいで、味は苦くて、とにかく不味くて飲めたもんじゃなかった。
働き詰めの時には、眠気覚ましに飲んでいた。味なんか関係なくて、
まああとは、ちょっとかっこいいと思ってわざわざ飲んでいた。
「1曲歌ってくださいよ。全部聞いたことなかったし。ほら、いっつも怒ってどこか行ってしまうじゃないですか。
今日だけ。ちょっと甘えさせてくださいよ。」
珍しく若い世代に興味を持ってもらったことが恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しくて、
人に歌なんか聴かせたことないけれど、ジメっとした心と空気を取り払いたくて、
頭の中で『さん、はいっ』とリズムをとった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
一杯分のコーヒーを淹れたら
香りに包み込まれた時間に
身を委ねてみる
深色に染まった液体と
輝きを増すカップの金縁
ほろ苦いでも楽しい匂いのこの味は
まだ私にはむずかしい
やっぱり砂糖をおふたつ入れる
一杯分のコーヒーを淹れたら
あなたは小慣れた手つきで注ぎ
砂糖をおひとついれる
露がしたたる庭を横目に
これまで彫った時間をなぞり
おひとつふたつと今を彫る
いつまで経ってもいれるのかしら
いつまで経ったらいれなくなるの
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「誰かとのひとときの歌なんですね。ん?過去と未来の話?なんだろ?わかんないや。
でも、いい歌ですね。私も一緒に歌います。」
それから何度か合唱する。気恥ずかしいけれど、人とこうやって一緒に過ごすのは
いつぶりだろう。この人と一緒にコーヒーを飲みながら、今までの自分を話してみたいな。
「実はコーヒーってお砂糖入れた方が美味しいんですよ。この歌にもあるじゃないですか。
我慢せず、美味しく飲んで楽しく過ごすのが一番でしょ。」
「そうだな。今日はちょっと飲んでみようか。砂糖ふたつな。」
「ダメです。ひとつにしてください。」
「厳しいな〜。」
「一杯分の珈琲を、淹れますね。」