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【添う恋ふ長屋】春一番

本部

突風が身体を突き抜け、朝からいそいそと準備した髪が乱れる。
どうせまた風が吹くのだから、ちりぢりになった髪をいっぺんにより戻さずに、
ちょうどスマホが見られるくらいに、前髪だけ直す。
バス停での順番は、今日は4番目だから、なんとかいつもの席に座れそう。
「準指定席」に座ったら、バッグに挟んでいる髪留めをもってまとめよう。

バスに乗り、つつがなく席についた私は、隣の乗客に会釈して、髪をまとめ上げた。
家から出る時点でそうすればいいものの、寝起きで半分も頭が動いていない状態で、
しかも10秒すら惜しいのに、そんな大層なことはできない。
でも、できないからこその功なのか、ブワッ吹きさらす風が、春の訪れを気づかせる。

その度に、「もうすぐ春ですね」なんて口ずさむけれど、その先は声に出さない。
新しい出会いなんかいつでもあるし、でも結局自分が動かなきゃ意味がないこともわかってるし、
春だからといって、なんでもかんでも「新」がくっついてるのもなんか嫌だし。
コツコツ頑張り続けた結果が、今の私だし、何よりもこの「準指定席」だ。
春になると人が入れ替わって、席替えを強いられるのが億劫なんだ。

職場に着き、さっと準備を済ませて、業務に入る。
生活を支援することが中心だから、毎日の積み重ねが、
ご利用者さまとのコミュニケーションを作っていく。
この人はどんな人なのか、何が好きで、どうすれば笑顔になるのか。
簡単な仕事ではないけれど、自分の頑張りが少しずつ貯まっていくのが、
性に合ってる気がして、この仕事を続けている。

以前、とあるご入居者さまが、

「なんでもするからいつでもゆうてよ、草むしりでも、なんでも。」

と言ってくれたことがあって、
春みたいに、ここから「新」という切り取り線じゃなくて、
長い時間をもってできあがった繋がりがあるからこそ、
私たちを応援してくれているんだと再確認して、
身が引き締まる思いだった。

「草むしり」の方、今日元気かな、ふと顔が見たくなって、仕事の合間に会いに行った。

「こんにちは。」

「おう。元気か?」

「元気です。」

「春だな、春はええな、あったかくなって。新しいこと、始めるのか?」

少し口をつぐんでから、続ける。

「今年もいつも通りですよ。風が吹いて、雨が降って、草が生えて、寒くなって。
その繰り返しです。」

「そうか。桜でも見に行きたいけどな。
1年がどんどん短くなるから、季節だけは感じておきたくてな、あと何回見れるか。」

「まだまだ見られますよ!」

「どうかなぁ。ああ、桜といえばよ、この前、絵、見て思い出したんだよ。」

「なんの絵ですか?」

「ついてきな。」

「これだよ。これ、コスモスって言うんだな。漢字で秋の桜ってんだな。
若い頃、とにかく働くばっかりで、花なんか興味なくてな。」

「ええ。あ、でも・・・これ」

「俺はさ、春の嵐が来る度に、あと何回桜見れんだろうって怖くなるのよ。
あとな、この季節は、新しいことばっかりで、あんたみたいな若者は楽しいんだろうなって思う。
俺はもうそんなこと思わねえからさ。」

「あの・・・」

「だからさ、もう桜は今年で最後かもしれないけれど、
せめてコスモスが咲く頃までは、毎日毎日頑張って生きようって思ったんだ。
半年後なら、まだ、わかんねえだろ?」

「頑張って生きようと思うのなら、きっと大丈夫ですよ。
反対に私は、新しいことはもういいって思うんです。
それよりも、毎日の頑張りを認めてほしいって思ったりもします。
桜の季節だから新生活!とか、街の雰囲気とか、みんなが浮かれてるのが嫌なんです。
これまでの私がなくなっちゃうみたいで。」

「ちゃんと見てるよ。」

「え?」

「ちゃんと見てるよ、だから草むしりでもなんでもやらせてくれって言っただろ?
あんたが頑張ってなかったら、誰もそんなこと言わないよ。
季節が変わったからと言って、全部新しくなるわけじゃない。
今までの頑張りに加えて、もっと新しいことしてみなよ。面白いぞ。
年寄りはそれがなくなって、1日、1週間、1年が早くなるんだ。
次、桜を見る時はな、去年はこんなに頑張ったんだって、そのご褒美の花だって思ったら、
ちょっと嬉しいだろ?なんだったら、今やってることをちゃんとやることだって、
新しい挑戦なんだから。」

「ありがとうございます。」

「頑張れよ。あー、疲れた。久しぶりによく喋ったな。戻ろう。」

「はい。」

そうして、2人一緒にもといた場所へ歩み始めた。
その歩みは、春の応援スーツを着た時みたいに、未知へのワクワクの第一歩だったかもしれない。
もう少し、春のことを好きになろう。
花見で浮かれている人たちのことも、
ドギマギしながらピカピカのカバンや制服を身に纏った子らのことも、
秋まで、と言いながら、これからを必死で生きようとする彼らのことも。

「すみません。さっきの絵のことなんですけど・・・。」

「どうした?」

「あれ、コスモスじゃなくて、〇〇です。すごく似てるんですけど、こっちの方です。」

「え?そうなんか?なんだよコスモスじゃないのか!あっはっは!本当に馬鹿だなあ!」

「ごめんなさい!失礼なことを言いました・・・。」

「いやいや、ありがとう。新しいこともうないなんて言ったけど、一本取られたな。
まだまだわからんことがたくさんあるなあー。そうかそうか。
じゃあ、来年の桜、一緒に見ような。」

ーーーー

僕が中学生の時から、祖父母は
「あんたとお酒飲めたらそれでええわ」
「あと何回あんたとご飯食べられるやろうか」
と、食卓を共にする度に言っていました。
結局祖父と一杯やることは叶わず、
その頃には地元を離れてしまっていたので、
1人暮らしになった祖母ともあまり会うこともなく、
彼女も亡くなってしまいました。

ただ、最後に祖母と会った日、
僕が小さい時の話で盛り上がったのを覚えています。
彼らと登山に行ったり、植物園で花を見たことなど、
当時は植物なんか興味がなかった僕ですが、
山奥の木々の隙間に出来上がった湖や、
視界いっぱいの花畑を見て、ただ感銘を受けたことを思い出しました。

祖母からは、
「彼女はおるんか」とか、「仕事はどうや」とか
大人になった僕の次の目標の話についてもよく質問してきましたが、
日々を暮らすだけで精一杯だった僕はいい返答ができず、
濁しながら適当に話して、そのまま別れてしまったのを少し後悔しております。

考えすぎかもしれませんが、
新しいことをチャレンジしてほしいとか、元気に暮らして、
孫の良い報告を聞くことが
一つの生きがいだったかもしれません。

せっかくの春なので、気持ちの良い文章を!と思いましたが、
家族との思い出を重ねて書かせてもらいました。

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