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【添う恋ふ長屋】波を照らす夕日は思い出と水平線を滲ませて

本部

利用者さまが日々過ごされる施設。
私は、そこで介助をしている。
「ありがとう」の一言が、1日の疲れを癒す。
連休明けの職場で、親しい入居者さまが
「久しぶりに顔見たわ、体調大丈夫?」
と、ひとことくれる。
それだけで、目の前が急に熱くなる。

介助は、決して楽なものじゃない。
ひとひとりが生活を支えることにどれだけ力が必要か。
食事、睡眠、排泄、入浴。
重い荷物を運ぶことだってある。
生活を支える仕事だから、予想もつかないことが
毎日起こる。それが1人だけじゃないから、
全員のことを支えながら、辛くても笑顔で対応する。

みんなが気がつかないことを、褒められなくとも、きちんとこなさなければならない仕事だ。

私だって毎日元気じゃない。
靴紐が解けてしまうように、
何をしても締まらない日がある。
そんな日。

朝から何度も廊下を通り過ぎては戻り、
自分がどこにいるのかわからない状態が続く。
歩きながらやらなきゃいけないことは・・・と
考えていると、次の仕事の時間になって、
また考えながら、仕事して、とにかく忙しい日だった。

一旦落ち着こう、と立ち止まる。
前を見てるわけにもいかないから、
廊下に飾ってある絵を眺めてみる。

普段は気がつかなかった1枚の絵が目に留まる。
整備された浜辺には、美しい花が添えられ、
夕日と共に、静かな波がきらきらと光る風景。
その美しすぎる景色が、反対に現実を思い出させる。

最後に海を見たのは、いつだっただろう。
確か、雨に振られて、ぐっしょりしたまま、気がついたら
家にいた。海を見に行こうなんて言わなければ。雨に降られなければ。
この絵みたいに、綺麗な夕日だったら。

絵画の前でぼうっと立ち尽くしていると、
通りかかったご入居者さまがふと、語り出した。

「この絵。どう思う?」


「え?あー、すごく綺麗です。」


「私は好きじゃない。だって、あの人と行った場所と似てるから。」

『海岸線の夕日を見よう』

初めて彼から誘われた旅。口元を緩ませて、友達に行ってくるわねなんて
自慢してたのに、当日は朝から天気がどんよりしてて、
口がへの字に曲がった彼に気を遣うばかりだった。
なんとか楽しくしようとしても、空は晴れるばかりか、
彼の機嫌とおんなじように、どんどんと曇っていく。
着いた頃には大雨で、さらには海も大時化で。
宿から出られず、喧嘩だけして帰ってきたの。

「それから彼とは会ってない。あんなに最悪な1日はなかなかないわ。」


「そうなんですか。なんだかごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまって。」


「でも、それもいい思い出なの。
あの時、この絵みたいな、美しい風景を目の当たりにできたら、
どうなっていただろか。
いっそのことこの場所に住んでしまおうか、彼と一緒になってしまいたい。
そうしたら、別の人とは会ってないだろうし、
この施設にもいなかっただろうし。全く違う生き方だったかもしれないの。」


「ええ。」


「私はこの人生が最高に楽しいの。
そうして、あの時は散々だったけど、思い出すときには、
ちょっと綺麗な思い出になっちゃったりするの。
あなたもね、もう思い出したくないってことも、結局はこの絵みたいに、霞んでいくのよ。
好きにしなさい。あと、自分の思うように、がんばってみなさい。
夕陽になる頃には、何もかも滲んて、煌めいているのだから。」

去っていった彼女の背中は小さくて、丸まってて。
だけど、夕日が伸ばす彼女の影は、背筋をピンと立てた私なんかより、水平線みたいにまっすぐ芯が通ってた。

仕事が終わり、施設を出る。
今日のことを思い出して、振り返ると、

「ありがとう、また明日〜」

と手を振っていた。
いつもしないのに。
全部わかってくれてるみたい。
こっちが助けられたな〜なんて
頬が少し上がるのを感じた。

ーーーーー

あとがき


昔から、仕事と私生活の歯車があべこべになって、
どうしようもない時は、京都の三条大橋からのぞむ鴨川を見に行っていました。
建物と川の流れの風景がとても美しくて、科学と自然って、ものすごい時間をかけたら馴染むんだな~
なんて思いながら、缶ビールを片手に、よくぼんやりしています。

僕は海沿いの生まれなので、水平線に凄く親しみを感じています。
振り返ると、楽しい時も辛い時も、やっぱり海とか川が関わっていて、
まっすぐ伸びてるのに、だんだんと丸くなって地球の輪郭が見える景色が大好きです。

波の音とか、温度とか、現地に行くと心配事をちょっとだけでも流してくれるような風景のことを、
この絵を見て感じて欲しいと思って書きました!

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